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KOUの半生から生きる世界を移行していく考えを身につけよう

KOUの半生から生きる世界を移行していく考えを身につけよう

先々月に、父が亡くなりまして、そのタイミングで、自分を見つめる時間が増えまして、メインの仕事以外は休んでおりました。

今回は、このときの気づきを皆さんにシェアしていきたいと思います。


特に、現状から変わろうとしている方に、気づきになればと思います。


私は、姉一人の長男として生まれました。

ただ、出生体重が1400gの未熟児だったんです。

お医者さんにも、このまま生きられるかわからないと言われて、家族みんなに心配をかけました。

その後、順調に体重も増え、特に後遺症などもなく育ちましたが、周りの子供たちと同じような遊びをしていると、両親が心配して、止められるような生活でした。

私の行動は親が決めるような、そんな家庭だったんですね。


大人になってから、幼稚園の卒園文集を読んでみました。

将来の夢という欄があって、周りの友達は、パイロットとか、スーパーカーの運転手とか書いている中、私は「公務員」でした。

両親はとてもやさしくて、尊敬できる人たちですが、偏った思想を、かなり植え付けられていたんだなと思います。


中学生になってからは、テニス部に入り、そこそこの成績を残すことができました。

親からは進学校に進むようにと言われましたが、高校に入ってからもテニスを続けたかったので、反対をおしきり、テニスで推薦がきている高校へ進みました。

この時、はじめて、自分の意志で人生の選択をしました。


そして高校でも、テニスでそこそこの成績をおさめ、高校3年のときに国体メンバーに選出されました。

これで、行きたい大学にも行けるなーと喜んでいたところ、ある大きな問題がおきました。

私はまったく無関係でしたが、部長をしていたので責任をとらされて、国体に出場できなくなりました。

ある大きな問題というのは、ここでは差し控えますが、いじめとか、喧嘩ではないです。

しょうもない問題ですね。


で、テニスしか頭になかった私でしたので、大きな挫折を味わい、なにもやる気がなくなっていたころに、父から、地元にあるエレクトロニクス関係の学校を進められて、なんの興味もなかったのですが、進学しました。


そこで、ロボットの設計や、プログラムを学び、こんな面白い世界があるんだなーと、それまでテニスしか頭になかった私に、新たな道がみえてきました。

卒業後、東京のシステム開発会社へ就職し、約10年間で50社を超えるくらいの会社に出向し、開発に明け暮れました。

守秘義務があるので、自分の会社で開発するような案件が少なくて、だいたい依頼があった会社に出向して、他の会社の人達と共同して開発するのがほとんどなんですよね。


おかげで、色んな人たちと出会えましたし、いろんな経営者から話を聞けたので、貴重な時間だったなと思います。


そんな中、当時、オンラインで株の売買ができるようになってきたころで、私も、さきがけてやりはじめました。


そこそこ勝つことができ、もしかしたら、株の売買で食べていけるかも、と考えるようになり、仕事をしている日中でも、思う存分取引ができるように、プログラムを2年ごしで開発しました。

今でいうシステムトレードのようなものですね。


順調に資金が増えていきました。

証券会社からも認められて、信用取引という、レバレッジがきく取引もできるようになり、いよいよ、これで生活ができるなーと思いはじめたころです。

パタッと勝てなくなり、損失を重ねるようになってしまいました。

いつもだと何回か損失しても、すぐに勝ち越せていましたが、どんどん運用資金が減っていき、最終的に運用資金の全部、、額にすると数千万が市場に溶けてしまい、二度目の挫折を味わいました。


何もやる気が起きなくなってしまって、仕事も休みがちになりました。

もう自分の人生は終わりだなーと、あきらめかけていた、そんなとき、ウェブで事業をおこしている人と出会い、お金の稼ぎ方を学びました。


その頃は、インターネットが、そこまで整備されている時代ではなかったので、ちょっとしたコツで、すぐに利益化することができました。

私はプログラムを組むことができたので、収益までの流れをシステム化して、手間をきょくりょくかけずに、運用することを編み出し、株の損失をなんとか取り戻すめどをたてることができました。


そして30歳のときに、地元へもどり、ウェブを使った経営コンサルとして、独立しました。

株で失敗していなければ、このような選択肢は生まれなかったでしょうね。

地元は、まだまだウェブ化が進んでおらず、仕事の需要がたくさんありました。

行く先々で喜んでもらえて、やりがいを感じました。


そんなころ、父が神経難病におかされて、西洋医学では治せないと言われました。

西洋医学で治せないなら、東洋医学ではどうだろう、アーユルヴェーダではどうだろう、波動医学ではどうだろうと、色んな情報を調べた結果、最終的に気功にたどりつきました。

思い返せば、子供の頃から手かざしで、痛みをとったりしていたので、なんとなく気功にたいして抵抗がなかったんですね。


最初は気功師にお願いしていましたが、目に見えた改善が見えませんでした。

その気功師から、別の人がやってみると上手くいったりする、というアドバイスをもらい、私自身が気功を学んでやってみようと思いました。

そして2ヶ月ほどで気功を習得して、父にするようになりました。


このことがきっかけで、友人や、コンサルに入っている会社の社員さんなどに気功をするようになり、だんだん気功が広まっていき、しだいに、お金をいただいて氣幸をするようになっていきました。


コンサルのお仕事も楽しかったのですが、体の不調で困っている方が気功で元気になられる姿をみたときに、これは天職なのかもしれないなと思うようになり、気功でお仕事をするようになっていきました。


ここまで、私の半生をお伝えしてきましたが、何か大きな出来事がおきて、それまでの世界から、新しい世界へ移行していますよね。

また、見方を変えれば、今までの世界を捨て、新しい世界に入っていってます。

そのキッカケを作ってくれるのは、人との出会いであったり、何かしらの情報であったりします。

それを掴んで行動した結果、新しい世界に移行してきています。


これは、私だけでなく、誰でもそうなんですよね。

現状から変わりたいと思っている方は、ぜひ、参考にしてみてください。


最後に、先日、父の四十九日の法要があり、実家に帰省しておりました。

このタイミングで、私が生まれた時から入っていた、ある団体から抜けてきました。

とても素敵な団体で、私が目指したいと思える先輩がいるところだったのですが、私自身、さらに先へ進みたいので、卒業させてもらいました。

団体とは、言わばコミュニティです。

私たちは、コミュニティの中で生活する生き物なので、時として、今までのコミュニティから離れないと、先へ進めなくなってしまうんですね。

今回は、まさしくそういうタイミングでした。


苦渋の決断でしたが、また、新たなコミュニティに属して、大きく成長していきたいと思っております。

父の死をきっかけに、また、あらたな人生を出発することができました。


これから、ますます、みなさんと気づきを共有していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。